どんな逆境も越えて見つけた「私らしい幸せ」
「今が一番幸せ」。そう語るのは人材育成コンサルタントとして、経営者から新人まで幅広い人たちの「人間関係」の悩みに寄り添う廣田智子さん。 かつては、自分自身の心の傷や生きづらさに悩んでいた。 そんな廣田さんがいま、誰かの人生を支える側になっている。その背景には、壮絶な経験と、それを越えてきた彼女だけのしなやかさがあった
幼少期の葛藤から芽生えた、救いたい気持ち
両親が共働きで、ひとりっ子だった幼少期。 両親の不仲や浮気を感じ取りながらも、「気にしてない」と自分の気持ちを押し込めて生きていた。そんな彼女が小学生の頃に抱いたのは、「大人は信用できない。自分は一人で生きていくんだ」という思い。 寂しさは友人関係にも影響し、親密なつながりを築くのが苦手だった。 そんな廣田さんの転機は高校生時代。 心理テスト「バウムテスト」を体験したとき、人の心を知る学問があることに衝撃を受け、「人の気持ちがわかれば、もっと楽に生きられるかもしれない」と感じたという。 心理学との出会いが、彼女の人生を大きく動かした。
夢をあきらめた日、それでも前を向いた
心理学を学ぶ夢を抱いていたが、高校卒業間際に父親の再婚と異母きょうだいの誕生により、大学進学の夢は断たれる。 やむなく地元の広告代理店に就職したが、希望とは違う部署に配属され、やりがいを見いだせずにいた。 そんな中、友人のSOSに駆け付けたことがきっかけで退職。 その後、その友人と結婚し、子どもを授かるが、夫はうつ病を発症し、最終的には命を絶ってしまう。 22歳で子どもを抱え、夫の残した1億5000万円の借金と遺産問題に直面した。 誰にも頼れず、不安と孤独のなか、娘を守るために親権を手放し、夫の祖父母に託すという苦渋の決断をくだす。 この経験が、「心を病む人を救いたい」という気持ちを再び強くし、通信制大学で心理学を学び直す原動力となった。
人見知りという強みが花開く
その後、大手アパレル企業にパートとして入社。 自身が人見知りであることに不安を感じていたため、面接で「人見知りだけどやれるか」と面接官に質問を投げかけた。 すると、「あなたならできます」と言われた言葉に背中を押される。 人見知りだからこそ、相手をよく観察し、相手にとっての最善を考える。それが接客で力を発揮し、7年連続で顧客満足度ナンバーワンを達成した。
「ベストを尽くす」ことで人生が動き出す
そこでの経験や、再婚相手の後押しを受けて、彼女は人材育成のプロとして独立。 最初は就活支援のスーツ指導からスタートし、「NOと言わずにやってみる」姿勢で少しずつ仕事の幅を広げていった。 今も大切にしているのは、高校の校長先生からもらった「ベストを尽くせ」、そして長年勤務したアパレル企業の理念「親切に、どこまでも親切に」という言葉。完璧を目指さず、そのときの自分にできる最善を尽くす。その姿勢が、次のご縁を運んでくれたという。
ご機嫌でいることが幸せの第一歩
廣田さんにとって一番の課題は、幼少期のトラウマによる自己肯定感の低さだったが、心理学の学びを深め、特に0〜3歳の頃の心の傷にアプローチするボディワークに出会ったことで、「自己肯定感が初めて育った」と話す。解放を感じたそのときから、収入も飛躍的に伸びたそうだ。 「どんなに小さなことでも、自分をご機嫌にすることは、周りの幸せにもつながる」。 マッサージに行く、すこし奮発したおやつを買う そんな“自分への優しさ”が、自分らしい幸せを育てる鍵だと断言する。 「未熟でいい。育ったようにしか育てられないと不安になる必要もない」。 完璧を目指さず、困ったときは誰かの助けを借りればいい。 そして最も大切なのは、「お母さんがご機嫌でいること」。 それが、家族の幸せの土台になるとやさしく語ってくれた。 逆境を越えてきた彼女の言葉は、今を生きる私たちにそっと寄り添い、自分を大切に生きるヒントを与えてくれる。
ライター名:TOMO
居住地:東京都&長野県
年齢:40代
本来人間は、自己肯定感を持っている生き物です。辛いことがあっても、生きていけば、その分良いこともたくさんあります。

