子どもと命の危機を乗り越えた、ハナコさんのストーリー

全力愛情

 

可愛い我が子が

長女を出産した。

可愛い可愛い我が子。

2歳になる頃には、「ブーブ来た!」等たくさんのお話したり、元気に走り回っていたのに、2歳になる直前に、突然高熱が出た。初めての高熱。

かかりつけの病院に予約した。

熱が出てても元気で遊んでいたので大丈夫かなと安心していた。

すーっといなくなる我が子、目は斜め上をむき、ぬいぐるみをつかんだまま部屋の中を歩き回る。

何か様子が変だと思ったら突然の痙攣。

5分くらいで落ち着くと何かで読んだ。

 

大丈夫だ。

 

でも怖くて救急車を呼んだ。

救急車来るまで5分以上、止まらない。

長い時間に感じた。

救急車の中で酸素マスクをつけてもらい、そのまま大きい病院へ。

45分以上痙攣していた。

処置室で痙攣が止まったが、入院。入院中は熱が下がれば帰れると思っていた。

「明日退院です。」やった明日には帰れる。そう思った夜2度目の痙攣を起こした。朝方だった、安心していたので、私は寝てしまっていた。

先生や看護師さんの声で目が覚めた。えっ?なんで人がいるの?えっ?我が子が何??えっ?今日帰るんじゃなかったの?

わけがわからないまま慌ただしく処置され、そのままHCUに入った。

HCUに運ばれる我が子、私は別室に呼ばれ、突発性発疹からの急性脳症になります。このまま目が覚めないかもしれません。目が覚めても麻痺がのこるかもしれません。症例が少ないので…..

 

もう何も聞こえなかった。

 

全力サポート

たくさん泣いた。

なんで我が子が?なんで?なんで?私があの子を怒りすぎた?何がいけんかった?大事にしすぎた?保育園行くのもっと小さい頃から連れていくべきだった?何がいけなかった?そんなことを考えてた。

HCUで体温調節のため極度に冷たい我が子。話しかけることもダメなため見守るだけ。そんな日々を過ごした。

HCUで賢明な処置で目を覚ました。

一般病棟に戻れることになった….ただ、首が座ってない赤ちゃんのようになった。鼻からチューブ入れられて….喋れない動けない。

絶望した。

口から食べれるようになれば回復が早いかもしれない。

作業療法、理学療法の先生方にたくさんお世話になり、誕生日にケーキが1口だけ食べれるようになった。あとはリハビリするのみ。

療育センターに母子入所させてもらいひたすらリハビリ。1から体の使い方を一緒に習い、毎日毎日リハビリ。

笑顔が出た。

首が座った。

腰が座った。

歩けるようになった。

ここまでくるのに一年間、旦那さんはもちろん、自分の両親、義理の両親たくさんサポートしてくれた。

本当に感謝しかありません。

先生にもここまでの回復は奇跡です。と言われた。我が子本人が一番頑張ってくれたからだと思うが周りのサポートがあったからこそだと思う。

 

そして今

今そんな我が子は17歳。元気に高校に通っている。

母子入所から卒業して幼稚園に入り、義務教育が終わった。

幼稚園の頃は熱が出るたびに不安に襲われたが、大きくなるにつれ風邪もあまり引かなくなり元気に過ごせている。

しかし私自身、何より健康が一番だと思ってはいるのに、勉強や友達関係、コミュニケーションなど気になることが多々あり、大丈夫かな…と不安になっている。

元気になってくれたからこそ色々と期待をする自分もいて嫌になる。

我が子が自分の道を歩けるように、自立していけるように、サポートをこれからもしていこうと思う。


ペンネーム 3838ma
鳥取県在住。
40代。
4人の子育て奮闘中。

 

 

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