子育ての正解とは
神さまからのお告げ
2001年2月、ミレニアムベイビーがわが家に誕生しました。
妊娠中、性別を早く知りたくて5カ月早々に主治医に尋ねると女の子かな?と言われ、パステルピンクやホワイトのかわいいベビーグッズを準備しながら誕生を待っていました。
2001年元旦、近くの神社へお詣りに行きました。
参拝後、お御籤をひくと。
出産の欄に『をとこ』と。???何度見返しても???逆子で予定より早く帝王切開で誕生した第一子は、神さまからのお告げ通り男の子でした。
子育て競争スタート!!
生まれてすぐは五体満足だったことに安心し、慣れない子育てに24時間体制で奔走。
少し月齢が経ち、乳幼児検診に行くと成長や発達具合が気になり始めます。
他所の子はもっと大きい。他所の子は髪の毛がフサフサ。
捕まりだちをする子、歯が生えてきた子。おむつの外れた子。どんどん母親としての感覚が鋭くなってきます。
社宅で暮らしていた私たちは、社宅の公園デビューをします。先輩ママから早期教育の話しを聞くことたびたび。
母親として、子どもの可能性を最大限に引き出してあげたいという願いで一歳半から習い事が始まりました。
幼児教室。英会話スクール。音楽教室。社宅近くには国立大附属幼稚園があり、ここに入園できるかどうかが最初の壁。
勿論、わが子もと期待をしたものの、おむつが外れていることという入園条件がクリアできず。
このまま社宅にいると、わが子だけがダメな子の烙印を押される気がして新興住宅地への引越を決断。
新たな地にて
新居は同じような子育て世代層が集まった新興住宅地。
自宅周辺には息子と同い年の男の子が6人。
みんなテレビの戦闘シリーズが大好きで戦いごっこ好き。
しかし、うちの息子はプラレールやブロックが好き。
価値観の違いからたびたび仲間外れにされたり、嫌なことを言われたりで親子共に切ない想いたびたび。
転園を真剣に考えた時、主人の転勤がきまり年長さんの息子は他県の幼稚園へ。
新しい幼稚園はすんなりなじめ、やはり環境や場はそれぞれ違い、合う合わないがあることを実感。
葛藤の日々
2年後、再び自宅に戻り地元の小学校に息子は転校。
他県でののんびりした雰囲気はなく、みんなどこかの学習塾に通っていた。
息子も通信講座、公〇式、学〇教室など通わせてみた。
しかし、通わせること、宿題の管理に親の私がイライラ。
強制されるストレスもあってか息子はチックに。
下の子にもまだまたま手がかかり、息子の教育方針をリセットすることにした。
もともと家にある廃材を利用して工作をすること、ゲーム好きな息子。
自由な雰囲気の造形教室と好きな数学に特化した教室に切り替えた。
造形教室に行って何になる?と主人に嫌みを言われながらも息子が生きる意欲や楽しみを見いだしてほしかったから。それでもまだ息子を進学校へ進ませる望みを捨てきれずにいた。
早くしなさい、ちゃんとしなさい、なんでできないの、いい加減にしなさい…こんな言葉のオンパレード。
中学受験も全滅、高校受験こそはと期待したものの結果は惨敗だった。
それでも、滑り止めにしていた私立高校で青春を謳歌し、好きな分野で都内の大学へ進学をした。
苦手なことを克服するより、得意を伸ばしたほうがよい子だった。
あの頃にもどれるのなら
息子が都内の大学に進学して2年目にコロナ禍となった。
体調を崩しても会いに行けず、成人式に帰省することすら憚られた。
そんな中でも1人大都会で生き抜いてくれた息子は立派に成長したと実感した。
今、これまでを振り返った時、たくさんの後悔が湧いてくる。
家中を工作だらけにして順路の貼り紙まで付けて家自体を博物館に見立てた息子を叱ってしまったこと、あまりにいつまでもダラダラと続く工作を壊してしまったことなどなど。
今にして思えば、素晴らしい発想だったし、よく工夫されていた作品ばかりだった。
当時は子育て評論家や育児本を読みあさり、少しでも役立つようにと必死だったけれど、子育ての正解ってなんだろう?東大に入れることだろうか?今なら違うとはっきり断言できる。
子ども自身が、親がいなくても1人で生きていく力をつけられたらそれで正解なんだと思う。
私はかなり遠回りしてしまった。
本当ならば限られた親子時間をめいっぱい一緒に楽しく過ごすのが1番だ。
今、子育て中のお父さんお母さんにはお子さんとたくさん楽しい時間を過ごしてほしいと心から願っています。
ペンネーム Y.Yさん
宮城県在住。50代。