不妊を乗り越えて
若いママになりたくて結婚
私は昔から若いママになりたくて23歳までには結婚したいと思っていました。
周りにはまだ早いんじゃないかやもう少し遊んだら?など色々言われましたが、なんとか親も説得してタイミングよくその当時付き合っていた彼と22歳の時結婚しました。
彼も私も早く子どもに恵まれることを期待していました。
しかし、なかなか妊娠に至ることはなく、「まあまだ一年だし」程度で不妊なんて想像すらしていませんでした。
その当時派遣で自動車部品の事務をしていました。
そこで一緒に働いていた方が他の社員の事を「もう年も年なのに子供も作らないでねー」的な事を言っていて自分自身の事も言われてる気がして悲しくなりました。
それをきっかけにさらに悩みました。
転職先が治療のきっかけに
派遣ということもあり、契約満了ということで新たに職探しが始まりました。
もともと医療系に興味があり、医療事務を受けることに決めました。
就職活動は順調に進み、すぐ産婦人科の医療事務に勤務する事になりました。
初めての医療事務でしたが、かなり覚えることが多く大変でしたがなんとか仕事していました。
そこで勉強していく中で詳しく知ったのが不妊治療です。
不妊治療の患者さんはほぼ35歳以上当時まだ、25歳の私と同年代で治療を受けてる方はほぼいなかったです。
ですが、仕事をしていく中で妊娠まで進んでる方はごくわずかで妊娠の難しさを改めて知りました。
その時私はすぐにでも治療を始めないとと決心しました。
そして旦那に相談して、ついに治療を始める事になりました。
治療開始と子宮内膜症
治療を始めた私は自分の働いていた病院で治療を受ければよかったのですが、恥ずかしさもあり違う不妊治療をしている産婦人科へ行きました。
そこの主治医は腕は良いとの事ですが、無口な先生でした。
検査していくうちに分かったのは子宮内膜症でチョコレート嚢胞があるという事でした。
もともと生理痛がひどかったけど、女性ってこんな感じだよなって思い込んでいましたが内膜症でした。
当時まだまだ知識が浅かった私は内膜症の手術があると言われ取り除けば治るし、妊娠もできると思い手術する事に決めました。(これが後に後悔することになりました(泣))
手術後はタイミング法、人工授精を何回かして みましたが、全然妊娠する気配はなく、体外受精へと移行。
そのタイミングで自分が勤めていた病院へ移ることにしました。
体外受精と衝撃の事実
勤めていた病院で治療を始めたので、前の病院で検査した検査結果等ももっていったのですが、その時の結果で卵子の数が少ないということがわかりました。
院長曰く卵子が少ないのに内膜症の手術で掻き出したことによりもっと卵子減っちゃったよ。との事。
そして内膜症は生理があるうちは完治はしない。 その時の私。え?完治しないのに手術した意味…ってなりました(笑)
しかも卵子も減っちゃったし。。。 というか、そんな説明一切されていないし、私も聞かなかったの悪いかもだけど検査結果で卵子の数少ないとかも言われてない!!となりました。
まあそんなこんなで体外受精の治療が始まりました。
患者さんがお会計の時今日の看護師さん注射NGでってよく言われてたんですけど、自分が経験してよくわかりました。注射がとにかく痛い!笑
そして打つ人によってもさらに痛くなるという…苦笑 採卵、移植と経験し、多額のお金がかかったけど子供が欲しいの一心で頑張りました。
ですが、1回目の結果は陰性。落ち込みましたが、私はまだたかが一回じゃないか!と前向きに考えるようにしました。
幸い凍結した受精卵もあったので2度目の移植をしました。
そしてついに妊娠!その時私の年齢27歳。早くママになりたくて結婚したはずが、5年も経っていました。
無事出産、育児奮闘中
無事出産した娘も小学1年生になりました。
それから2人目も治療を5回くらいしましたが、残念ながらうまくいっていません。
出産してから年と共に体の衰え、冷え症の悪化など重なり。って感じです。
私が伝えたいと思うのは、不妊治療って手が出しづらいと思うのですが、私はすこしでもあれ?って思ったら病院に行ってみては?と思います。
お金も時間もかかるし、周りに知られたくないって思う人が大半だと思います。
でも私は不妊治療したからって別に恥ずかしいとも思わないし、現在保険診療になって前よりもお金がかからなくなってるし、もっと広がればいいのにって思います。
本気で焦り出してからじゃ遅くなります。年齢と共に妊娠率はぐんと減ります。
私は20代で治療を始めて本当によかったです。今は娘が本当に宝物です。
妊娠は当たり前じゃないって思い知らされました。現在も治療進行中なので、2人目妊娠できるよう頑張ります!
ペンネーム なーママ
青森県在住。30代。