色んなことに悩みもがきながら生きてます!
仕事と妊娠、未婚の母に
フリーランスでピアノ講師とボイストレーナーをしていた私は20代後半で少しずつ仕事が軌道に乗り始めたところでした。 大きな仕事の話が舞い込んだところに妊娠が発覚。 当時のパートナーは「おろしてほしい。結婚の選択肢は無い。」と言われ途方に暮れました。 病院を受診するとその時点で既に妊娠3ヶ月。 医師には中絶するならば早めに決めなければいけないと言われましたが、 お腹の中の子の心臓の音を聞くと涙が溢れ、「とてもじゃないけど殺せない。」と思い、未婚で産むことを選択。 妊娠中も出産後も、嬉しい気持ちもある反面、常に未来への不安で赤ちゃんとゆったりした気持ちで過ごせる日々ではありませんでした。 フリーランスで仕事をしていたので、臨月から産後5ヶ月くらいまでは全く働けない状態で収入ももちろんゼロ。 両親の助けはあったものの働きたいのに働けない現状に不安は増すばかりでした。 保育園が決まって働けるようになってからも、以前の顧客が戻ってくるわけもなくゼロからの再スタート。 今まで積み重ねてきたものが全て崩れ去ってしまいすごく落ち込みました。 それでも子供を産んだことに後悔はしませんでした。
出産を機に自身で開業。そして子供の発達障害。
全くゼロになってしまった自分のキャリアだったけど、ゼロになったからこそやろうと思えば何でもできるのではないか、と思いある程度、自由にできるよう自宅で音楽教室を開業することに。 これまでは企業に任せてきた集客や運営も自分一人でやっていかなくてはならなくなったけど、 自分なりに色々と考えながらやってみました。 口コミやチラシ配りの成果などで少しずつ生徒が来てくれるようになり、落ち着いてきたころ、 子供の発達障害が発覚。 最初は保育園の先生の「周りの子たちと比べると少し身体の動きや発達に違和感を感じる。」という言葉がきっかけでした。 それまでも発達健診などで、発語が遅れているなど指摘されたことはあったものの、周りの人たちから「そんなに気にするほどではないのでは?」と言われたこともあり、子どもの成長なんて個人差があるものと思っていたので気にしていなかったのですが、保育園の先生からの一言はさすがに引っかかって発達外来を受診することに。 そこで受けた診断は自閉スペクトラム症でした。 私自身、診断を受けても全くピンとこなかった。 それはどういう症状が主なものなのか、どうしたらいいのかもわからない。 発達障害ってそもそも何かもわからない。 そんな状態からのスタートでした。 まずは作業療法や理学療法などをやって、就学までにできるだけ周りの子との差を埋めましょう、と言われ発達外来に通うことに。 通院が増え、仕事も少しセーブしたりしてまずは子どものためにできることを全部やろうと思いました。
就学から現在まで。
それでも、年長さんになった時、担任の先生から面談で聞いた我が子の様子は周りにいるいわゆる「普通の子」には全然追いつけていない様子。 保育園の先生たちの手厚いサポートがあるからこそみんなと一緒にやれているけど、小学校に上がって先生が一人で30人近い子供を見る環境の中で果たしてついていけるかどうか…。 市役所からも普通級より特別支援学級が良いのではと判断されたけど、 本当にその選択が最善なのか悩んで悩んで、それでも答えが出なくて…を繰り返しました。 そんな中、保育園の先生方、周りのママ友や、実際に支援学級に通った経験のある子のママ、近所のおばさん、本当にたくさんの人が相談に乗ってくれたし、励ましてくれてすごく有り難かった。 周りのサポートをたくさんもらって考え抜いた結果、まずは普通級で頑張ってみようと思い、普通級へ進学。 もし不登校になったとしても、勉強はいつからでもできるし、学校じゃなくたってできる!そう思って普通級へ進学したものの、やっぱりそこにも壁はあって…。 家で宿題を一緒にやってあげてもなかなか上手くいかない。 子供も心が育ってきているのもあって、宿題を一緒にやると喧嘩になってしまい、そこから宿題をやるのが嫌になってしまいました。 小学校に上がった途端、「できない」を突きつけられる毎日。 私も子供も疲れてしまって、宿題はもうやらなくてもいいや…になってしまった。 二年生になると勉強についていけないというのがなおさら顕著になって、担任の先生からも「正直、支援学級のほうが合っているのではないか。」と言われ、先生にそんなつもりは無いのはわかっていても「あなたの子は普通じゃない、できない子」と言われているような気分になって落ち込んだことも。 そこからまた支援学級に移るかどうするかを悩む日々が始まり、ある日、自分の母と話していた時、母の「支援学級に行ったら高校進学は難しいだろうから普通級で頑張らせたほうがいい。最低限、高校卒業までは出させるのが親としての責任。」と言われ色んなことが吹っ切れました。 だって、それって周りと足並み揃えられなかったらダメってことじゃんって。 そんなことない、足並み揃えられなくたって人生は生きていけるはずじゃんって、母のその言葉で私はハッキリそう思えたので支援学級へ移る決心をしました。 今は支援学級へ移る手続き中です。 決して誇れるような生き方はしていないけど、これまで人生の中でたくさんの選択をして、どの選択にも後悔はしていません。 今の自分が人生で一番心地よい自分だ!って思えています。
ペンネーム A.Yさん
東京都在住。30代。