人生を開拓し続けるハナコさんのストーリー

将来の夢、叶いましたか?


大人になったら何になる?

50代半ばの私が子どもの頃は、まさに『ちびまる子ちゃん』の世界そのもの。

学校から帰ると駄菓子屋へ行ったり近所の友だちと遊んだり。
夜になれば曜日毎にお楽しみのテレビ番組を観て、1日を終える。
宿題もそこそこにその日暮らしの私は、まさにちびまる子ちゃんそのもの。
大人になったら何になる?幼稚園の先生?ケーキ屋さん?お花屋さん?
そんな会話をしていました。

とあるきっかけ

小学校の頃、夏がくると戦争の恐ろしさを学ぶ授業がありました。
戦争体験した語り部の方の話を聴いたり、戦争映画が上映されました。
私が小学5年生の時、『ガラスのうさぎ』という映画を観ました。
とてもとても胸に響き、平和な今を生きる私がこんなではいけない、もっと一生懸命に生きようとスイッチが入りました。
それからの私は苦手な科目も必死に取り組み、図書館の本を読みあさりました。

親との葛藤

スイッチの入った私は、中学に進学してからも学業、部活動、生徒会活動に熱心に取り組み続けました。
高校の進学先を隣町にある進学校に決めました。
ところが、親からは反対されてしまいます。
当時は、地元の高校に進学し、就職する、というのが私の暮らしていた地域の常識でした。
でも、私はもっと広い世界に飛び出したかったのです。
担任の先生の協力もあって親を説得し、無事に志望校に合格し、進学しました。
片道2時間ほどの通学も苦にならず楽しい高校生活を過ごしましたが、また大学進学という壁で親の反対に合います。
当時の私の親の理想は高卒で公務員になることがベストな選択と考えていたようです。
そんな親との葛藤を抱え致し方なく唯一許された地元国立大学に進学しました。

自分探しの始まり

親の言いなりで進学した学校は私にとって不本意でしかなく気持ちは沈みがち。

そんな中、バイト気分で友だちと応募した自治体主催のキャンペーンガールに選ばれ、その後も地元で開催された博覧会のコンパニオンを務めました。

その際に、マナーなど所作を指導する先生から今でいうCA、当時のスチュワーデスを目指してみませんか?と誘いを受けます。
考えたこともない選択肢でしたが、英語好き、海外への憧れなどまさに私の夢そのもの。
バイト代で県外の専門学校へ即通いはじめました。
専門学校はとても楽しく、大学の勉強よりも充実していました。
ところが、CAになるための身体条件である視力に問題があることが分かります。
先生方からはそれでも諦めず受験を勧められましたが、バブル崩壊寸前のご時世でより確実な道を探し始めることに決めました。

不適合?!

方向転換した私は、真面目にリクルート活動を始めます。

マイクを持つ経験があったことからテレビ局など。最終的に地元の地方銀行に決まりました。
思い描いていた華やかな世界からはほど遠いものの、親も大喜び。
いざ入行してみるとやはり厳しい現実。
男女雇用機会均等法が始まり総合職として数少ない大卒女子への風当たりは強く毎日が試練でした。
そんな経験から私は働くということが向かない人間なんだとずっと思ってきました。
でも、たまたま息子の在学していた高校で採点員の募集があり働いてみたら仕事も人間関係も楽しく、お給料までいただけることに。
さらに部署移動の声がかかり、就職支援のサポートをすることになりました。
進学することが多くなった最近のご時世で就職せざるを得ない生徒たちの話を聴きながら、先生方もサポートできる仕事にやりがいを感じ、労働条件は不本意ながらも全力を尽くしてきました。
卒業生が初任給をもらったと挨拶に来てくれた時の感動は忘れられません。
しかし、私の娘もまた同じ高3生となり、娘のサポートをせずに他所の子のサポートをすることに苦しくなりセンター入試前日に退職しました。
娘も希望した大学に進学した今、私の新たな夢は講師資格を取得したゼンタングルアートで世界のイベントに参加することです。
人生100年時代と言われる今、まだまだたくさんの夢や希望を見つけて自分の人生を輝かせて楽しもうと思っています。

 
ペンネーム Yさん
宮城県在中。50代。 

 

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